2. 蒼社川を治める
昔の蒼社川
人々のどのような努力によって、蒼社川は安全な川になったのだろう。
こう水の後の蒼社川
今から300年ほど前、江戸時代の蒼社川は、たびたびこう水を起こしていました。近くの田や畑は水につかり、家はおし流され、人の命をうばうこともありました。そのため、当時は『あばれ川』『人喰い川』などとよばれておそれられていました。
今の蒼社川からは想ぞうもつかないね。
地図を見ると、川にそってていぼうがつくられているのがわかるね。
二重にていぼうがつけられているところもあるね。
蒼社川とそのまわりの様子
はげしいこう水から人々を守るため、たくさんのていぼうがつけられたんだね。
松もたくさん植えられていたんだね。
昔の蒼社川は曲がりくねっていて、こう水のたびごとに川の流れがあちこちと変わり、たいへんなひがいをあたえていたんだよ。
昔の人々は川を治め、必要な水をえるために、いろいろな苦労やくふうをしていたのだろうね。
蒼社川は 今治市の中央を流れる大きな川で、飲料水、農業用水、工業用水としてりようされ、わたしたちの生活に深いつながりをもっています。
江戸時代の人々は、どのような願いで、工事に取り組んだのでしょうか。工事の様子や苦労も調べてみましょう。